第6章「福祉国家」から「福祉世界へ」  (日本語)

(本稿は,1996年 7月29日から 8月 3日まで香港において開催された,第27回国際社会福祉会議 (27th ICSW International Conference)のワークショップ 1 において, From "Welfare State" to "Welfare World" と題して発表されたものの邦訳である)

Ⅰ 「福祉国家」の達成

 諸政策モデル

 

 20世紀を通じてほとんどの民主的産業諸国は「福祉国家」になろうとして努力してきた.政治家,学者(英国の例を挙げれば,ベヴァリッジ,ティトマス,T・H・マーシャル,トーニーその他)を含む社会政策の計画者たちは,この目標の達成に貢献した.ベヴァリッジは社会保険と公的扶助とから構成される社会保障計画を発展させ体系づけた.トーニーとティトマスは社会サービスと課税制度を通じての再分配政策を強調した。そしてT・H・マーシャルは福祉国家の発展を市民資格

(citizenship)の諸内容の発展によって説明し,現在のイデオロギー的状況,すなわち、福祉国家主義を,政治セクターの民主主義,経済セクターの混合経済,社会セクターの福祉社会,の諸要素の複合として説明した. 発明された諸モデルは次のように要約できるであろう.主として社会保険と公的扶助からなる社会(所得)保障制度;時に積極的優遇の要素を含む,医療,住宅,教育,対人福祉サービスなどの諸社会サービス;完全雇用政策;相続税や累進的所得税による再分配政策;及び労働者保護法制,等々である.

 日本の場合

 

 これらのモデルは,しばしば烈しい労働運動をも伴つたが,西欧的な産業化された諸国に最も適合した.それは日本にも当てはまった.ウイリアム・ベヴァリッジの自伝(注

1)の邦訳『強制と説得』の「はしがき」で,元厚生省の高官であった伊部英男氏は,昭和年25年の「社会保障に関する勧告」はベヴァリッジ報告の「ほとんど引きうつしとみられるほど」であったと述べ,日本は「おそらく英国以外でもっとも強く(ベヴァリッジ報告の)影響を受けた国ではないか」とも述べている.「福祉国家」としての成長は戦後日本の政治的安定ひいては経済発展にも大きく貢献したと言える。

 過去50年間に,新自由主義,私 企 業 化,多元主義,コミュニティ・ケア等々多くの政策革新がなされてきた.そのあるものは単元的な福祉国家という伝統的な概念に挑戦した.また最近では失業やホームレスの範囲の増加という新しい対応を要求する新しい挑戦も見られる.しかしながら,福祉国家に対する基本的な傾倒は変わっておらず,その.基本的な枠組みは存続している 
 

福祉国家の理想の存続:「福祉国家主義」の擁護

 福祉国家の一つの定義は,国民が一定の基本的レベルの生活資料を保証されることを市民資格の一つの権利として認め,その責任を公約する国家,としてよいであろう.この定義は最低限以上のニードを保障する可能性を否定するものではないが,絶対的貧困の削滅は必須の第一歩と見られている.
 T・H・マーシャルはソーシャル・ポリシーの目標を国民的合意の得やすい順に,貧困の削滅,福祉の極大化,平等の追及という三つの概念で表している.マーシャルにとって貧困とは絶対的貧困と同義語であった。

過去50年間に,新自由主義,私 企 業 化,多元主義,コミュニティ・ケア等々多くの政策革新がなされてきた.そのあるものは単元的な福祉国家という伝統的な概念に挑戦した.また最近では失業やホームレスの範囲の増加という新しい対応を要求する新しい挑戦も見られる.しかしながら,福祉国家に対する基本的な傾倒は変わっておらず,その.基本的な枠組みは存続している

 

 (1)William Beveridge,Power and Influence,Hodder & Stoughton Ltd.,1953
   (邦訳)伊部英男訳『強制と説得』(自伝)至誠堂,昭和50年