序章

 


 

・ 本書の趣旨(四〇年の探求の総括-私のパラダイム)

 

・ ソーシャル・ポリシーとソーシャルワーク

 

 
・ 本書の趣旨

 

 本書は大袈裟ではあるが、私が一九五四年に社会福祉学専攻の大学院に入って以来過去四十数年間、社会福祉学の学にこだわって追究してきた結果の総括を試みたものである。いわば私のパラダイムの到達の結果とその経過とも併せて紹介している。

 

 私は社会福祉研究の道に入って以来一貫して社会福祉学一般理論の構成をめざし探求してきたつもりであり、そのために四冊の本を著したが、ここにきて最終のまとめとして、今まで本になっていない新旧の材料も動員し、今までの議論の補強もして、自分の言いたいことを少しでもはっきりさせたいとしたものである。そのために書名を「社会福祉学汎論」(あまねく論ずる)とし、副題は「パラダイムの探求」、「私のパラダイム」など考えたが、結局結論を端的に示すため「ソーシャル・ポリシーとソーシャルワーク」としたのである。

 

 私は著作の最初のものとして一九六八年に『現代社会福祉学入門』という本を出した。「入門」と題してはいるが、私としては枠組み(パラダイム)に関するかぎり、極力緻密に構成したつもりであった。しかし細部において、特に各論の部分において、時代の推移にしたがって補正する必要もあり、それを改訂することはその後の一貫した目標であり、そのための資料も努めて収集してきた。しかし改訂の作業はきりがなくそれを始めることには本格的な覚悟を要するものであり、その上基本的なパラダイムは今でも当初と変わらないという思いもあり、結局断念の方に傾いた。その代わりというわけでもないが自分のやってきたことの総括として本書をまとめることにしたのである。

 

 私はA『現代社会福祉学入門』1968以来、B『社会福祉とソーシャルワーク-ソーシャルワークの探求』1973,1977(増補版)、C『福祉国家と福祉社会-社会福祉政策の視点』1984,1991(増補版)、D『社会福祉学一般理論の系譜-英国のモデルに学ぶ』1996の計四著作を出した(第三部著作解題参照)。副題がそれぞれ示すように、第二作はソーシャルワークの位置付けに焦点があり、第三作はソーシャル・ポリシーに焦点を置いたものである。第四作は英国の五人のソーシャル・ポリシーの著者を挙げてその理論モデルを紹介したものである。本書はしたがって第五作であり、前述のように今までの議論を総括するのが目的である。今までの著作を振り返ってみて自分が一貫して社会福祉学のパラダイムを追及してきたことを再認識した。しかし、本書は補遺のような面もあり、出来れば他の諸著作も参考にして全体的に捕捉していただければ幸いである。

 

 そして、本質的にそうなのか、私の力が及ばなかった分からないが、そのパラダイムも結局は英米流のソーシャル・ポリシーとソーシャルワークに引きづられ、その範囲をあまり出ていない自分を発見する。私のパラダイムは結局はソーシャル・ポリシーとソーシャルワークの二つの概念でまとめることになるであろうか。それ故次節でそれを取り上げた。 四〇年以上の社会福祉学研究の経過を総括整理し自分でも納得することがとても意味のあることであると感じている。わが国ではマクロの議論は盲点のようになっている。社会福祉学のパラダイムもまだ模索中と言ってよいであろう。

 

 そして本書はどちらかといえば、主眼は社会福祉学のパラダイム構築に関心のある研究者や大学院生への参考にと考えているが、出来れば、併せて、専門家でなく一般の人々にも分かり易く社会福祉を説けないかということも頭にあり、一部わざわざ教科書版を利用したのもそのためである。また、学者の責任として到達した結論から将来の課題を検討し提言をするのも必然であろう。終章ではそのようなことを多少試みた。
 

 

・ ソーシャル・ポリシーとソーシャルワーク

 

 私のパラダイムの結果は結局社会福祉学の内容の実質は英米流のソーシャル・ポリシーとソーシャルワークとなってしまった感じである。それがイクオールというつもりはないが、当たらずとも遠からずであり、社会福祉学というものある程度限定し、単なる理念や概念の操作でなく、実用性や国際性をも考慮に入れて突き詰めると、大きくはソーシャル・ポリシーとソーシャルワーク(両者を結び付けるものは諸社会サービス)に帰するのではないかというのが私の帰結であり主張である。

 

 政策と実践、広義と狭義、と捉えればひとつの体系に含まれるが、岡村理論的に固有性ということを強調すれば両者は別物となる傾向がある。ソーシャル・ポリシーはわが国では,社会政策と社会福祉の狭間にあって纏まっていないきらいがある。早くから伊部英男氏らが提唱しているがまだ十分市民権を得ていないきらいがある。私は初めは第一の著作『社会福祉学入門』では広義の社会福祉として社会福祉政策という言葉を用いていたが、ほとんどソーシャル・ポリシーと同じであり、第四の著作『社会福祉学一般理論の系譜-英国のモデルに学ぶ』では英国の事例でもあり、開き直ってソーシャル・ポリシーをそのまま用いた。

 

 英国流のソーシャル・ポリシーは一九世紀の後半に端を発し第二次大戦後ベヴァリッジ計画を契機に大体完成した「福祉国家」体制における諸社会サービスの運営(ソーシャル・アドミニストレーション)から始まって、政策学として成立したものと言える。ベヴァリッジ体制の内容をリチャード・ティトマスは学問的に体系づけ、T・H・マーシャルは歴史的イデオロギー的にそれを福祉国家主義と位置づけ、その内容についても解明した。福祉国家主義とはむきだしの資本主義でもなく共産主義的社会主義でもない中間的なものであり、修正資本主義或いは倫理的社会主義とも表せる。ロバート・ピンカーはそのソーシャル・ポリシー・アンド・アドミニストレーションを一つの学問として捉え、その性格を論じた。ソーシャル・ポリシーとは一口で言えば資本主義的経済体制において、その経済政策に対抗して人々の生活を守る政策体系としてよいであろう。
 ソーシャル・ポリシーは訳すると社会政策であるが、わが国では、戦前からの伝統として一九世紀以来のドイツ的・ビスマーク・ウェーバー的な社会政策が経済学の領域で公認されてきた。社会福祉解釈として六〇・七〇年代に流行した孝橋理論といわれていたものもこの系列のものであった。それはマルクス主義に親近で潜在的に階級理論を重んじたことにより労働(者)政策を中心にしたものであった。これに対しソーシャル・ポリシーはイデオロギー的に違った文脈(福祉国家主義)を持ち、具体的には所得保障、雇用保障、住宅・医療・教育・福祉サービスを含むもう少し幅広いものである。わが国ではこの概念で社会政策を構成しょうとする試みがなかったわけではない。たとえば最近でも大山博・武川正吾編『社会政策と社会行政-新たな福祉の理論の展開をめざして』1991法律文化社、伊部英男・早川和男編著『世界の社会政策-統合と発展をめざして』1992ミネルバ書房、のような実質的には「ソーシャル・ポリシー」の提唱があるがまだ十分定着していない感じがある。

 

 さてソーシャルワークのほうはどちらかと言えばアメリカ的なものである。はじめ英国で発祥したが、後にアメリカに渡りメリー・リッチモンドやジェーン・アダムスらによって取り上げられ、アメリカの文化的土壌に沿って専門職業(プロフェッション)として大きく発展した。今日アメリカ・ソーシャルワーカー協会(NASW)は十数万の会員を擁し世界最大の組織であり、ロビー活動、出版その他幅広い活動をしている。

 

 ソーシャル・ポリシーとソーシャルワークをどう関連付けるかは、社会福祉学の一つの課題である。社会福祉現象には二重焦点があるとする考え方と、それぞれの独自性を重んじ他を関連領域とする二通りの考え方の合計三通りある。いずれにせよ両者は全然無関係ではない。私は総体的に捉えるならばソーシャル・ポリシーを主体にしなければならないが、ソーシャルワークの独自性も尊重しなければならない、とする考え方である。

 

 わが国では十分体系的な社会福祉学はまだ未成熟のような気がする。体系的な理論が弱い。固有性を追及した岡村理論は、その趣旨ではなかったかもしれないが社会福祉を狭い領域に閉じ込めてきたきらいいがある。ソーシャル・ポリシーの部分が弱い。わが国の今までの理論は、三浦文夫氏の理論に代表されるように、ソーシャル・アドミニストレーション(社会サービスの運営管理)の範囲を出ないものが多いような気がする。その点京極高宣氏の近著『社会福祉学とは何か』(1995)には両面を捉えようとする意欲が見える。